りんご婆のおもいつ記

今までの商品では売れないのではないかと思います。 将来を見越したアイデアが必要ではないでしょうか。

物価高で電気代など光熱費を節約しようとする高齢者の方が
暖房をつけない、と語っていました。

あれこれ工夫して厚着をしていますが暖房なしではとても無理。
しかし、今の繊維の技術があれば暖房のいらない服はつくれそうにも思ったりします。

外で働く若い方や被災した場合など需要がありそうです。
手入れができて軽いもの、ゆったりしたものがよさそう。

外側が気密性の高いもので体温で温める厚くないもの 
じっとしていても発熱するような繊維で
廃棄するときに問題がないもの は難しいでしょうか?

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夕焼けに染まった雲になにげなくカメラを向けたんですが
今、見ると関東は強風と乾燥が気になるせいか
火事に注意 みたいに見えたりします。💦💦

火の用心 をお願いします。
最近ではタバコのポイ捨てなども監視カメラにキャッチされ
重過失罪になるかもしれませんのでご注意ください。
高齢者も監視カメラの役割を。(#^.^#)


小堀桂一郎著「森鷗外 日本はまだ普請中だ」 ミネルヴァ書房 2013年
森鷗外略年譜によると
1922年に60歳で亡くなった鷗外は
1920年10月11~16日
1921年4月4~9日 全生庵に紫野大徳寺見性宗般師の金剛経提唱を聴く
とあります。
谷中にある全生庵は長男の事務所の近くにあり、用事の帰りに出かけてみました。
午後4時ごろであったでしょうか。
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裏手には山岡鉄舟のお墓がありました。
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この全生庵は山岡鉄舟が建立したとのことで、森鴎外は山岡鉄舟に関心があった
といえるのかもしれません。
山岡鉄舟は徳川慶喜の命を受け、西郷隆盛と会談し、日本の内戦を防いだという人物ですが
森鴎外もまた知られていない何かをした、ということはないでしょうか。

森鴎外の周辺にいた人物たちをみると、与謝野鉄幹・晶子はフランスへ、芥川龍之介は中国へ、森於菟はヨーロッパへ、木下杢太郎はフランス・スペイン・ポルトガルへと出かけています。

黄禍論が盛んであったときに、知的日本人の存在を示そうとした?

もしかしたら関東大震災後、欧米のどこかが動けば、日本は植民地となっていたかもしれませんね。
それを防いだ、といえるのかもしれません。

相葉×ヒロミ という番組で、地方の困りごとを解決していました。
たとえば電線にかかりそうな竹林の伐採などでした。

人手の足りない地方で、こういう番組がたくさんあると大いに助かるし
若い人たちはどういう仕事が役立つかが具体的にわかることになるのではないでしょうか。

テレビ番組も歌って踊ってもしくはクイズ番組ばかりからの転換をできるのではないでしょうか。
電磁波の多そうなスタジオに長時間いるのは健康にも悪そう。

地方の困りごと解決にテレビは積極的に動いてほしいですね。

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慶喜の墓から日暮里駅方面に少し歩くと
大きなイチョウの木が。

このイチョウの大木が呼んだ、のかもしれません。
かなりの迫力です。

ある日の午後、用事で上野に出かけて帰るときに、そこからは上野駅ではなく
日暮里駅が便利だと聞いて歩いてみました。

谷中霊園を通ることになって、徳川慶喜の墓がちょっと入ったところにありました。
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谷中霊園にあるとは知らずにおりましたので
これは何かのお導きかと高齢者的な発想が。

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